横須賀美術館「開館15周年 生誕120年 猪熊弦一郎展」

 横須賀美術館で「開館15周年 生誕120年 猪熊弦一郎展」を見てきました。 
90歳でこの世を去った猪熊弦一郎さんの作品からは、 明治、大正、昭和、平成の、その時代の空気を感じとることができました。
猪熊さんヒストリーとともに変わっていく作風!死ぬまで制作し、暮らしを楽しみ、家族を愛し、なんていい人生だったのだろうかと思いました。

猪熊さんは1902年生まれ。

1922年、東京美術学校の洋画科に入り藤島武二に師事した頃、時代は明治と昭和の間であり、わずか15年間だった大正時代でした。

大正デモクラシーといわれた民主主義、自由主義的な運動が発展した民主化の時代で、
美術の世界では、個人の主観を尊重する気風が芽生え、西洋モダニズムアールデコの影響を受けた、人間性豊かでロマンチックな作品が生まれたそうです。

 

1938‐1940はパリでマティスに師事。マティスに「お前の絵は上手すぎる」といわれ、自分の絵になっていないということだと理解し、
自分の表現とは何か、美しさとは何かを考え続けます。パリでは藤田嗣治との出会いもありました。
第二次世界大戦が起こったことで帰国し、その後中国、従軍画家としてフィリピン、ビルマと戦地へ派遣されます。

1945年の終戦後は、1947年から1987年まで小説新潮の表紙絵を描き、1950年に三越の包装紙「華ひらく」をデザイン。
海岸で拾ってきたというモチーフとなった石が展示されていましたが、結構大きいものでした。包むと平面であっても立体的に見えるというデザイン!
高級感のあるモダンなカラーで、戦後すぐの、復興の世の中で、どれだけこのデザインが輝いていたことでしょうか。文化的で素敵な暮らしの推進力になっていたことと思います。文字は当時宣伝部にいた、やなせたかしさんだそう。

猪熊さんは、上野駅の壁画「自由」慶應義塾大学壁画「デモクラシー」などパブリックアートも手がけます。これらのパブリックアートに青年時代に影響を受けた大正デモクラシーの気風が感じられます。

1955‐1975の20年間のニューヨーク時代には、画家のマーク・ロスコジャスパー・ジョーンズ、音楽家で作曲家のジョン・ケージらとの交流がありました。
そして抽象画を描くようになります。

1973(昭和48)年、一時帰国中に脳血栓で倒れたことで、日本に戻り、ハワイと日本の生活を始めます。明るい色彩で丸や四角や動物や植物のような形が散らばるような作品が増えます。宇宙に強い興味を持ち多くの作品の題材にして、90歳で亡くなるまで描き続けました。

今回の展覧会の見どころのひとつでもある作品、横須賀美術館所蔵の《三人の娘》。
ここにはイームズチェアが描かれています。イームズからイサム・ノグチをとおして、猪熊と同時代のデザイナー、剣持勇に贈られたもので、実物が置いてありました。イサム・ノグチから贈られた人形も展示され、イサム・ノグチとの交流も見ることができました。

「美を意識するいいレシーバーを持っていると、あらゆるものが幸福になってきますよ」という猪熊さんの言葉があります。
美を受信できる感覚は、人を幸福にする・・・ということでしょうか。
みんなが美を通して、たくさんの幸福をキャッチできる世界は、心豊かでゆとりのあるなんと素晴らしい世界でしょうか。

奥様と猫を愛した猪熊さんの絵のモチーフは、「自分の愛するもの」。
明るく生きた猪熊さんの晩年の絵は、鳥がたくさん描かれた明るい色彩の作品でした。

またいつか横須賀美術館で《三人の娘》を見たいものです。

 

 

 

 

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