映画 バックルームズ

 最近話題のバックルームズを見てきました。

現在21歳のケイン・パーソンズ監督のデビュー作です。10歳頃からユーチューブで作品づくりをしていた、という世代の監督です。

主人公は安売りの家具店で働く男性。ある夜、店の壁の一部を押すと体が壁を通過して別の部屋へ。そこには図面上にはない広いスペースが広がっていました。

 

リミナルスペース(ある場所から別の場所へ移る途中の境界的な空間)という概念を視覚化した映画といっていいのかしら。

リミナルスペースは不安、違和感、非現実感を感じさせる場所。たとえば薄暗い階段とか誰もいない学校とか閉店後のモールとか。

 

黄色い部屋に入ってすぐのシーンを見たとき、ダリやマグリットの絵が浮かんできました。

終わりがわからない黄色い部屋、積み上げられた椅子、傾斜のある階段。どこかシュールです。そして平面、角度、色、マチエールが伝えてくるのは不条理感。

 

この部屋は何のためにあるのか?そこには何があり誰がいるのか?

 

オディロン・ルドンのリトグラフに

「目に見えず奇矯で幻想的な、いま萌芽しつつあるものからなる世界が、なぜ存在しないといえようか」

というものがあります。

なぜ存在しないといえようか、、、。

ルドン先生に言われると、それは自分のイマジネーションの産物ではないような気がしてきます。

 

シュルレアリスムを体感するのも、この映画のひとつの楽しみ方ではないでしょうか。

 

 

 

SOMPO美術館「山口華楊展」8月30日までです。

近代京都画壇を代表する日本画家、山口華楊(1899~1984)

 

京都ではなじみの深い画家ですが、東京では27年ぶりの回顧展ということです。

 

 

同時代、明治末から昭和にかけて活躍した画家は

竹内栖鳳 上村松篁 西村五雲(山口華楊の師) 土田麦僊 入江波光 堂本印象 小野竹喬など。

竹内栖鳳の弟子が西村五雲、その弟子が山口華楊。

 

華楊は動物を主題とした作品で頭角を現しました。

栖鳳から続く京都の写生・動物表現の伝統を受け継ぎながら、近代的な西洋画の構成や感覚を、日本画の中で自分のものにしていった作風が特徴です。

 

印象派だけでなく20世紀の西洋美術、

ピカソ マティス シャガール ミロなどの影響を受けています。 

 

やはり代表作の「幻化」に魅せられました。月に照らされ遊ぶキツネがなんとも可愛いこの作品。幻想的で神秘的な森の中に自分も入り込み、目の前で遊ぶキツネを眺めている気分になります。筋肉の動きや毛の手触り、体重まで感じられるほど、キツネたちは生きています。

 

幻化とは仏教用語で、幻、菩薩の神通力による変化の意味。

すべてのものに実態はないということだそうです。

 

このキツネたちは幻で、何かの化身なのでしょうか。仏の化身なのか山口華楊自身なのか、月や森など自然界の化身なのか。

 

日本画だからこその味わいと日本画を超えた魅力を放っている1枚でした。

 

8月30日までです。

京都画壇を代表する山口華楊展にぜひお出かけください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

鎌倉芸術館「ウクライナ国立バレエ スペシャルセレクション2026」

鎌倉芸術館で「ウクライナ国立バレエ スペシャルセレクション2026」を見てきました。

 

湘南美術アカデミーにはレギュラーのウクライナ人のモデルさんが数名いらっしゃいます。

日本に長く住んでいるウクライナ人のモデルさんの紹介で、避難されてきた方にもモデルをお願いするようになりました。どうして皆さんバレエができるの?と聞いたら「ウクライナの女の人はみんな踊れますよ。学校で必須科目としてバレエや民族舞踊を習うんです」

キーウでバレリーナをしていたモデルさんもダンスの先生をしていたモデルさんも、鍛え続けてきたボディラインが美しい!

バレエコスチュームや民族舞踊の衣装でポーズをしていただくのですが、本当にチャーミングです。

そして、ウクライナ人のモデルさんは、人柄もまた魅力的。とても真面目で思いやりがあるのです。

避難民として日本に初めてきたというのに、すぐに普通に日本語で会話できるようになり、漢字まで書けるようになっているモデルさん。「日本で働くには日本語ができないと」と勉強を続けています。なんて努力家なのでしょうか!

何パターンもポーズを考えてきてくれて、衣装や飾りもたくさん用意し、こちらの要望に合うように準備してきてくださるモデルさん。

ウクライナ人のモデルさんからは、自分の仕事をきちんとしたいという気持ちが伝わってきます。

 

親しみのあるウクライナの方々の故郷キーウ、ウクライナ国立バレエ(旧キエフ・バレエ)の公演が鎌倉で開催されるのですから、行かないわけにはいきません。

バレエはハイライト形式のガラコンサートでした。

ひまわり畑を背景にした民族舞踊で幕が上がりました。私にとってはおなじみの民族衣装。バレエダンサーの皆さんが「ゴパック」を踊ります。ウクライナの自然と生命力を感じる生き生きとした踊りです。

避難民として日本に来たモデルさんから、報道されないウクライナの現状を聞いている身としては、もう胸がいっぱい。厳しい状況に置かれながらも活躍する皆さんの幸せを願わずにはいられません。

ウクライナ国立バレエの本拠地はタラス・シェフチェンコ記念国立オペラ劇場です。爆撃の危険がある中でも、安全対策をしながら公演が続いているということに驚きます。

今回のプログラムの芸術監督は日本人の寺田宣弘さん。11歳からキーウでバレエを学び、1995年にウクライナ国立バレエに入団し長くダンサーとして活動し、2022年12月から芸術監督を務めている方です。

ウクライナのバレエ団で芸術監督としてご活躍の日本の方がいらしたとは今回初めて知りました。

心に残るステージを楽しませていただきました。

戦争が終わりますように、と願いながら。

 

松濤美術館「没後50年 高島野十郎」展

 松濤美術館で開催中の「没後50年 高島野十郎」に行ってきました。

連日のこの暑さ、、、Bunkamuraの先の松濤美術館まで行くのは、ちょっと勇気が必要でした。

でも長い間待ち望んでいた展覧会。どうしても見たい!東京、神奈川では過去10年以上大規模な展覧会は開かれていないのです。

そこで、代々木上原からハチ公バスで行くことに。松濤美術館前で降りて少し歩けば到着です。

久しぶりに訪れた松濤美術館。

ここにしかない音や匂いが時間とともに堆積しているような、噴水を見下ろすと近未来にいるかのような、なんとも不思議な感覚に包まれる空間です。

ポールデルヴォーの廃墟画を観に来たとき、デルヴォーの絵と館内の空気がとても合うと感じましたっけ。

 

1枚の蝋燭の絵を見てから10年以上経つでしょうか。私は野十郎作品を蝋燭しか見たことがないのです。

サロンのような展示室に高島野十郎の蝋燭が灯っていました。「蝋燭」はお世話になった人への贈り物として描かれた絵なのだそう。

サムホールの小さな作品に、重層的な光と深い闇が描かれ、あたたかく神聖な気持ちになる絵です。

高島野十郎は1890年、福岡県久留米市に生まれました。

1910~30年代は展覧会に出展はしましたが美術団体に属さなかったため、あまり知られていませんでした。

1975年、85歳で死去しますが、まだ知名度はありませんでした。

そして1980年(昭和55年)、福岡県文化会館(福岡県立美術館)で「近代洋画と福岡県」展が開催されます。

青木繁、坂本繁二郎、古賀春江、児島善三郎などの作品とともに、高島野十郎の「すいれんの池」が出展されました。無名の作家の作品に皆が驚き、福岡県や地元の研究者による調査が行われ、再評価が始まります。

2000年代になり、展覧会が増えたことで「孤高の画家」として全国的に知られるようになります。

 

田中一村も没後に評価が高まった画家で、流行や画壇に迎合せず、自分の表現を貫いたところが野十郎と共通します。

高島野十郎が18歳年上ですが、約67年間(1908~1975年)は同じ時代を生きています。

 

田中一村はこれまで大規模な回顧展を何度か見る機会がありました。

そして待ち望んでいた高島野十郎展も、やっと東京で開催!2人とも孤高の画家、と表現されることがありますが、私は高島野十郎は孤高の画家ではなかったと思うのです。

小さなサムホールの絵を手渡すとき、どれだけ心が通い合うことでしょうか。そして野十郎の心がこもった蝋燭の絵は、贈られた相手の心をいつも照らしていたと思うのです。

 

暑い日が続きますが、貴重な展覧会です。ぜひ松濤美術館にお出かけください。

 

三菱一号館美術館「カフェに集う芸術家」9月23日までです

 

 

 19世紀後半のパリの「カフェ」とは人が集まり、情報が行き交い、芸術が生まれ、発表され、消費されていく場でした。

 この展覧会では、カフェ、キャバレーなど広義の“カフェ”を軸に、19世紀後半のパリがどのような都市であったのかを絵画や版画、ポスターを通して辿っていきます。芸術家がカフェという場にどのように触発され作品を生み出していったのか、また花の都パリの様子を、美術作品を通して知ることができる展覧会です。

パリにはカフェ文化が根付いていたため、画家たちは狭くて寒いアトリエから 暖かいカフェにやってきて何時間も過ごしていました。

カフェ ゲルボワに集ったのは、マネ、モネ、ルノワール、ドガ、ピサロなど。展覧会の計画や芸術論が交わされ、ここから印象派が生まれました。

 

 酒や食事に加えて、歌手の歌や語り舞台の余興を楽しむカフェコンセール、郊外やセーヌ川沿いには、飲食だけでなく、客自身も踊りに加わる大衆的な酒場ガンゲットが広がります。

こうした喧騒が伝わってくるのもこの展覧会の魅力です。

スタンランの黒猫のポスターで知られるシャ・ノワール(黒猫)は、モンマルトルの有名な芸術キャバレー。芸術家だけでなく、詩人や作家、音楽家も集まり芸術がジャンルを越えて交流する文化サロンでした。単なる飲食店ではなく、 詩の朗読 、音楽 、演劇 、影絵、芝居 絵画展示 まで行う芸術空間でした。 

ここからロートレックのポスター芸術へとつながっていきます。

ムーラン・ルージュ もキャバレーですが、シャノワールと位置づけが違います。 ベル・エポックを象徴する華やかなエンターテインメントの舞台 でフレンチ・カンカンで有名なキャバレーです。

印象派の作品にはカフェやキャバレーや劇場、 踊り子などが多くあります 。

 

スペイン バルセロナにはエルス・クアトロ・ガッツ(4匹の猫)というカフェがありました。若い芸術家が集まるカフェで、ピカソが19歳で初個展を開いた場でもあります。その後ピカソもパリへ渡りル・シャ・ノワールなど芸術家が集まるカフェやキャバレーの文化に触れます。パリには世界中から若い芸術家が集まってきていたのです。

 

エルス・クアトロ・ガッツはパリ滞在中にシャノワールで働いていた画家のペレ・ロメウが影響を受けて開いたカフェ。カタルーニャの芸術家や作家、建築家、音楽家が集まる、バルセロナ独自の文化サロンへと発展しました。

ではイタリアは?

ローマのカフェグレコやフィレンツェのカフェミケランジェロは有名カフェですが。

イタリアでは歴史的に教会や宮廷、貴族の支援を受ける芸術が長く発展してきたため、画家同士がカフェで新しい芸術運動を生み出すといった場ではありませんでした。19世紀のイタリアのカフェは画家や彫刻家が集まり、美術や政治について議論する場だったのです。

 

カフェグレコにはゲーテやアンデルセン。カフェミケランジェロには印象派に先駆けた色彩表現のマッキアイオーリ派の画家たちが集っていました。

ヴェネツィア サンマルコ広場のカフェフローリアン(1720年創業 最古のカフェ)には、ゲーテ、プルースト、ワーグナー。

 

それぞれのカフェに集まった芸術家のゴージャスなこと!「カフェ」とはなんと夢が詰まった場所でしょうか。絵画を通して、当時の文化を知る魅惑的な展覧会です。

 

「“カフェ”に集う芸術家ー印象派からゴッホ、ロートレック、ピカソまで」 会期:2026年6月13日(土) - 2026年9月23日(水・祝)

 

 

 

 

 

泉屋博古館「ライトアップ木島櫻谷Ⅲ」

「ライトアップ木島櫻谷Ⅲ

おうこくの色をさがしに」を見てきました。

木島櫻谷を知ったのは、この美術館で。初めて「寒月」見て感激したのでした。

写実的でありながら物語を想像させるのが櫻谷の作品の魅力だと思います。

色彩とテクニックが、現実と幻想の入り混じった夢の世界に誘ってくれます。

「菊花図」は、住友家本邸の書院で、来客を迎えるために飾られていた作品です。

15代住友吉左衞門(春翠)が建てた迎賓館の役割を持つ邸宅に、当時の京都画壇を代表する画家だった木島櫻谷が依頼されたもの。この四季屏風の中でも「菊花図」は、豪華な金地に咲き誇る菊を大胆な構図と厚みのある絵具で表現した、櫻谷の代表作の一つです。

 

櫻谷の使っていた岩絵具が並んでいました。何という美しさ!

この絵の具を使って櫻谷の美しく清らかな絵が描かれたのだと思うと、あらためて岩絵具の威力に魅せられます。

 

木島櫻谷が有名になったのは近年のこと。実は、木島櫻谷は生前(明治後半~大正時代)には非常に有名で京都画壇を代表する画家として知られていました。1907年の第1回文展で最高賞を受賞し、その後も上位入賞を果たしています。

しかし晩年に画壇から距離を置いたことや、大規模な回顧展が長く開かれなかったことから同時代の竹内栖鳳や上村松園ほど知られなかったようです。

 

20世紀美術の変革期にいた櫻谷の作品は自然主義や印象主義に共鳴した様式や画題、色彩革命に反応しており、洋画的な魅力も味わえました。

 

 

 

パナソニック汐留美術館「ジョルジュ・ルオー アトリエの記憶」

 パナソニック汐留美術館で開催中の 「ジョルジュ・ルオー アトリエの記憶」展へ行って来ました。

・ギュスターヴ・モローの教室

・仲間たちとの共同アトリエ

・画商アンブロワーズ・ヴォラールと関わった時代の制作の場

・晩年の最後のアトリエ

それぞれのアトリエ時代ごとにルオーの作品の変化を見ることができます。

これまで見たルオーの展覧会とはちょっと違った展覧会でした。別のルオーに触れた感じ。そしてクリアな気持ちになったのです。この感情をくれた展覧会はちょっとないかも。

近年収蔵のルオーの師であるモローの油彩画、フォーヴ期のルオーの「二人の娼婦」、初公開の「モデル、アトリエの思い出」が展示されています。

モロー作品を見てルドンを思いました。モローとルドンは同じ頃の画家で、ルオーはモローの生徒。それぞれのつながりを想像するのはとても楽しい!

「二人の娼婦」の肉体の描き方には息をのむほどの驚きがありました。筆使い、色、肉体の存在感の表し方がすごいのです。

「モデル、アトリエの思い出」はステンドグラス職人だったルオーを思い出させる、黒の輪郭、光の明るさを感じる作品。微妙な色の美しさにモロー先生の影響があるのでしょうか。描いているアトリエの仲間は誰でしょうか。見ても見ても見飽きない作品です。

 

 

 

そして最後に、興味の尽きない展示が!ルオー晩年の最後のアトリエの再現です。パリのルオー財団の特別協力により実現したものだそうです。

ルオーの最後のアトリエは、1948年にパリのリヨン駅近くのアパルトマンの一室に設けられました。大きな窓のある部屋で、中央には半円形の大きなテーブルが置かれています。

ルオーが実際に使用していた机や画材や道具などが紹介されていて、厚く重ねられた絵肌を作成する晩年のルオーがそこにいるかのよう!この半円形の大きなテーブルはルオーの自作かしら??

イーゼルが無いので、机に支持体を置いて制作していたことが想像されます。

塗って削って、重層的にすることでガラスのような質感になり、内側から発光するようなツヤが出る。絵の具を重ねることは思いを重ねる、祈りでもあったようです。ほんのり灯るような明るさを感じる理由がわかった気がしました。