横須賀美術館「運慶展 運慶と三浦一族の信仰」は12月22日までです。

 

 横須賀市にある浄楽寺には「阿弥陀如来坐像」ほか運慶が手掛けた仏像が5体あります。

運慶が作った仏像は、現在日本国内に31体あるとされており、その中で記録が残っていたり本体に運慶作と記されているものは18体だけ。

「運慶」と記された月綸型銘札の展示もあり、これは毘沙門天立像、不動明王立像の像内に収められていたもの。

正真正銘の運慶作品、重要文化財を5体揃って見ることができます。

こんな感じで、ケースもなく普通の照明の展示室に置かれています。間近で見る運慶の作品は圧倒的に美しいです。

運慶といえば奈良・東大寺の南大門の「金剛力士立像」(仁王像)。仁王像を手がけたのは1203年、運慶が50代の頃です。

30代の頃、運慶は北条時政の依頼を受け関東(東国)で活躍していたのです。

運慶は、三浦一族の一人、和田義盛(1147~1213)の依頼により阿弥陀三尊像、不動明王像・毘沙門天像を作成しました。

 

運慶以外にも素晴らしい仏像を見ることができました。

中国・南宋時代、国指定重要文化財、清雲寺蔵「観音菩薩坐像」は、京都・泉涌寺の「楊貴妃観音」とよく似た、なかなか大胆ポーズの観音菩薩像です。


平安時代、神奈川県指定重要文化財、天養院蔵の「薬師如来坐像」は、静かで雅な魅力を湛えていて素晴らしいものでした。

この仏像は「一木造り」で運慶よりも約100年前に作られたものだそうです。

 

 

同時開催中です。

 

 

 

 

 

「カナレットとヴェネツィアの輝き」展

 SOMPO美術館(東京・西新宿)で「カナレットとヴェネツィアの輝き」展を見てきました。12月28日まで開催中です。

カナレット(ジョヴァンニ・アントニオ・カナル 1697~1768年)とは?

カナル・グランデサン・マルコ広場など、ヴェネツィアを透視図法で緻密に描き、ヴェドゥータ(景観画)というジャンルをつくった18世紀の画家です。

透視図法や遠近法を駆使し、キラキラ光る運河や青い空、運河に映る建物の影まで精密に描かれています、さらに船や建物にいる小さな人々の様子までもいきいきと描かれているため、その場にいるかのような臨場感を得られます。

 

カナル・グランデレガッタ〉は、船上の人々や建物内の人々が細部まで描き込まれ華やかさと動きがあって没入感が抜群です。

 

 

ヴェネツィアカナル・グランデ サンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂を望む〉ウィリアム・ジェイムズミュラー1837年の作品です。

カナレットの技法を引き継いだ画家のひとりです。

 

カナレットと同時代の画家ミケーレ・マリエスキ 1740年頃の作品。

有名なリアルト橋が描かれています。

向かって左がカナレット

18世紀の世紀のヴェネツィアを魅力的に描きました。

ヴェネツィア生まれで父親は劇場の舞台美術家という環境で育っています。

 

日本で初めての本格的な展覧会だそうで、日本ではあまり知られていないのかもしれません。

18世紀後半にイギリスの貴族が主にフランスやイタリアの文化の中心地を回った「グランド・ツアー」。特に人気の地はヴェネツィアでした。カナレットの作品はヴェネツィア土産としてイギリスに持ち帰られたため、イギリスにはたくさん残っているのだそうです。

カナレットの没後もヴェネツィアは多くの画家によって描かれ続けてきました。ブーダン、モネ、シニャックといった19世紀の画家たちが描いた作品も展示されています。

 

 

泉屋博古館東京「オタケ・インパクト」展12月15日までです

国観

越堂

竹坡

 

泉屋博古館で「オタケ・インパクト」を見てきました。

「はじめまして尾竹三兄弟。東京初大回顧展。美術史から零れ落ちた規格外の日本画


ポスターにこんな文章が書かれていたので気になって。

 

 

尾竹三兄弟とは、
新潟出身で、明治末~大正期にかけて活躍した日本画家の三兄弟。
長男・越堂えつどう(1868~1931)、次男・竹坡ちくは(1878~1936)、三男・国観こっかん(1880~1945)。

三者三様、インパクトのある展覧会でした。


竹坡の作品が圧巻。サメ、ヒラメ、カツオ、ウミガメ、イセエビ、アンコウなど、無数の魚介類が画面を隙間なく埋め尽くした〈大漁図(漁に行け)〉の不思議さ。若冲の海の生き物よりイラストっぽい魚類が海面にぎゅうぎゅう詰め。シンプルな舟に乗った裸の漁師たちは顔立ちといい足の長さといい結んだ髪といい、日本人ぽくありません。それにしても大漁すぎる。舟が沈むくらい穫れそうです。

 

〈月の潤い・太陽の熱・星の冷え〉は、日本画というジャンルを越えた前衛的な作品。舞台美術のような空間を感じ、とても面白いと思いました。

 

今回ちょっとした発見がありました。

国観が、新渡戸稻造著「ファウスト物語」に口絵1葉、挿絵12葉を描いていたのです。新渡戸稲造のことは盛岡の先人記念館で知ったばかり。そして先人同士のつながりに感心したところでしたので、新潟出身の国観と盛岡の新渡戸稲造のつながりも私の心に追加されました。

三兄弟のそれぞれの日本画は、日本画の魅力を越えた新しさがあり、斬新に感じました。

なかなか刺激的な展覧会です。ぜひお出かけください。

パナソニック汐留美術館「ベル・エポック 美しき時代」12月15日までです。

19世紀末から1914年頃までの、パリが芸術的に最も華やいだ時代「ベル・エポック」。

ベル・エポック期から1930年代までの、美術、工芸、舞台、音楽、モード、科学などさまざまなジャンルで花開いた文化が重層的に紹介されています。

「花の都パリ」には赤い風車で知られるキャバレー、ムーラン・ルージュがあり、歌やダンス、フレンチカンカン、大道芸を組み合わせたショーで毎夜賑わっていました。画家のロートレックが通いつめ、踊り子たちをモデルに多くのポスターを描いたことでも有名です。

アール・ヌーヴォーの様式に影響されたS字型のシルエットのドレスやウェーブのヘアスタイルもベル・エポックの華やかさを伝えます。

 

 

シャルル・マルタンの風俗画集より「スポーツと気晴らし」

アール・デコで勇名な画家のひとり、シャルル・マルタンの風俗画集に1曲づつエリック・サティが短いピアノ曲をつけました。
パリのハイセンスな雑誌の企画だそうで、当時売れっ子だったストラヴィンスキーに断られたためにサティが作曲したのだそう。
ベル・エポック期の豪華さ華やかさよ!

「スポーツと気晴らし」のためにサティが作曲したオシャレなピアノ曲

ベル・エポック」で有名な画家の作品はもちろん、ラリックやガレの工芸作品、シャルル・ボードレールポール・ヴェルレーヌの初版本や、マルセル・プルーストの自筆の書き込みのある原稿まで。ベル・エポックの魅力を深く見ることができる展覧会です。

 

横浜そごう美術館「手塚雄二 雲は龍に従う」展 11月17日までです

水墨画に砂子を使った絵はちょっとない」

「砂子の下に野毛 切金という平安が入っている」

「オリジナルというのは伝統的な古典的ないいところを、それを天井絵にやることだと思う」

映像を見ましたら、こんなお話しをされていました。

上野の寛永寺根本中堂の天井絵完成を記念した「手塚雄二展」に行ってきました。

400年を経た天井板に直接描かれたもので、

来年2025年には奉納されますので、間近に見ることのできるのは今だけ。

右上の龍の爪の中央部分には、ご本尊の薬師瑠璃光如来を表す「ベイ」という梵字ラピスラズリで描かれます。ラピスラズリの青が特別な力を感じさせます。

現在は仮の状態で奉納する2025年に本書きされるそうです。

盛岡 先人に学ぶ

盛岡駅から歩いて北上川岩手山を見ながら岩手県立美術館へ。

コローの絵のように美しい北上川です。

岩手県の誇る芸術家といえば、舟越保武萬鉄五郎、松本俊介。岩手県立美術館へ行きましたが常設展がお休みでしたので、見ることができたのは屋外の舟越保武作品のみでした。

 

盛岡市の先人記念館では
舟越保武「ローラ」を見ることができました。

先人記念館は、盛岡出身者や盛岡にゆかりの深い、政治・産業・学術・芸術など各分野で活躍した130人を紹介しています。中でも、新渡戸稲造、米内光政、金田一京助の偉業については、貴重な展示物から深く学ぶことができます。

この時代に日本を国際的に導いた先人たちが盛岡で育ったということは、常に後輩たちの指針になっていることでしょう。

それにしても盛岡、岩手県は勤勉でありおおらかであり、魅力的な人柄の先人が、たくさん生まれた地なのですね。

 

 

 

街の中でも舟越保武作品に出会えます。

 

岩手銀行旧本店本館です。
東京駅みたい! 

辰野金吾によるものなのです。同時代のものですが東京駅は復元建築ですがこちらは保存修復方法がなされて現存しています。
明治時代の銀行建築、辰野式ルネサンス建築の意匠が散りばめられた魅力的な空間でした。

 

盛岡出身の横濱勉設計の「もりおか啄木・賢治青春館」は、第九十銀行として明治時代に竣工されたものです。盛岡市の中ノ橋通りにあります。

石川啄木宮沢賢治は青春時代を盛岡で過ごしました。

こちらでは舟越保武「若き石川啄木高田博厚宮沢賢治」を見ることができました。

 

 

花巻市萬鉄五郎記念美術館では「動物たちの浮世絵展」という楽しい展覧会が開催されていました。

江戸中期から明治初期までの浮世絵を通して当時の世相を知るとともに、春信、歌麿北斎、広重、国芳ら人気絵師によって描かれた動物の姿を楽しむことができました。

猫、犬、金魚をはじめ、人とともに働く馬や牛、猿、そして舶来の象、孔雀、オウムから空想の珍獣まで。社会を風刺したり、事件を痛快に伝えたりと、イマジネーションを駆使して描かれた動物は怪しかったり滑稽だったり、可愛いだけではありません。

動物の描かれた名品が予想外にたくさん並んでいて、楽しすぎて時間をとりすぎてしまいました!

訪れる人は少ないようですが、オススメです。

 

 

 

 

 

東京都美術館「田中一村展 奄美の光 魂の絵画」展12月1日までです

 

 東京都美術館で開催中の田中一村(1908-1977)の大回顧展に行ってきました。

2017年に横浜そごう美術館「日本画の潮流展」で見た1枚に驚き、次に見たのは2018年、箱根の岡田美術館「田中一村の絵画」展。衝撃をずっと心に留め、奄美千葉市美術館も、いつか行きたいと思っているうちに、とうとう都美館で、大回顧展!


8歳から始まり、藝大に17歳で合格するも2年で中退した後の活動、千葉時代奄美時代、300点もの作品が並びます。

一村作の木魚まで見ることができました。一村は仏像彫刻などを手掛ける木彫家の父に学び、根付などの木製品だけでなく、専門的な技術が必要な木魚もいくつか作っていたのです。依頼された仕事に対する一村の熱意が木魚の佇まいからも伝わってきました。一村の木魚は良い音がするといわれ、現在まで使われているそうですよ。

栃木県で生まれ5歳で東京に来た一村。書画を父から学び才能を発揮します。《菊図》の筆致は8歳とは思えないものでした。深みを湛える1枚の色紙、、さすが神童。
父から与えられた作家名「米邨」の下の部分は、父が加えた筆が気に入らずに破り取られています。一村のこだわり、美意識でしょうか。

東京美術学校 日本画科を退学したあとに描かれた力作《椿図屏風》は、なぜか左翼には何も描かれていません。


川端龍子主宰の「青龍展」に、「柳一村」の画号で出店し初入選した《白い花》、翌年、自信作であったのに落選した《秋晴》も展示されています。このとき《波》(所在不明)は入選しますが、辞退し、以来賞とは無縁の人生を送ります。

画壇での評価は得られなかったものの、屋敷の襖絵や天井画、旅土産のデザインなど幅広い分野の作品から、一村の画力とセンスを見ることができます。
小さな仕事であっても一切手を抜かないこの時代が、奄美の一村の作品に結びついていることがよくわかりました。


さて50歳。やっと奄美時代です。
南国の自然や風土に触れ、これまでの研鑽が実り、一村ならではの作風が生まれます。
小屋に住み、紬工場で染色工として働いては絵具代をつくるという暮らしですが、苦労というより実は一村の理想の形だったのでは?

父の手ほどきで南画を得意としていた一村。南画に影響を与えた文人画を描いていた文人の簡素な暮らしに憧れを持っていたような気がします。

理想郷で仙人のように簡素に暮らす文人奄美が一村の理想郷だったのだと思うのです。

閻魔大王えの土産品」と手紙に記した《アダンの海辺》や《不喰芋と蘇鐵》などに囲まれ、都美館にいながら奄美の空気に包まれます!

初めて見たとき、日本画の画材で描かれた、ポップアートのような作品に驚き、今回はさらにたくさんの作品を見て、デジタルアートにも通じるデザインの魅力も感じました。

一村が撮影したモチーフやお姉さまの姿など、絵画だけでなく写真もアーティスティックで、とても洒落ています。
紬姿の一村の1枚を見ると、佇まいや表情が南国にとても映える人だったことがわかります。

色彩豊かで生命力あふれる傑作を次々に生み出した一村、69歳で生涯を閉じました。

見ごたえのある大回顧展、ぜひお出かけください。