サントリー美術館「大英博物館 北斎―国内の肉筆画の名品とともに―」


大英博物館 北斎―国内の肉筆画の名品とともに―」を見てきました。

西洋を驚かせた「HOKUSAI」の傑作が東京へ里帰り

北斎のコレクターである肖像画家のチャールズ・ヘーゼルウッド・シャノンは、北斎と同時代に活躍した西洋の巨匠を引き合いに出して「ターナーは卓越した創作能力の持ち主だったが、風景のデザイナーとしては同時代の北斎には及ばない。北斎はまた偉大な人物画家であった」と述べています。

北斎は弘化6年(1849)に90歳(当時は長者番付に載ったほど長生き)で亡くなりましたが、

あと5年生きられれば本物の絵描きになることができるのに という驚きの言葉を残しています!

「天我をして五年の命を保たしめば 真正の画工となるを得(う)べし」

88歳のとき北斎は「百」という字を彫った大きな印章を作り以後それのみを使い続けたそう。
100歳まで、それ以上に生きて、さらなる成長を目指していたとは!

北斎の肉筆画制作のピークは、40代から50代半ばと、75歳頃から没年までの2期だそうです。最晩年はとくに制作の中心を肉筆画へと移します。

北斎の揃物の名品は、その多くが70歳を過ぎてから制作されたもの。風景版画の名手としてのイメージを決定づけた《冨嶽三十六景》は、数え71歳から74歳頃の作品と考えられているそうです。晩年の作品なのですね。

北斎は、
70歳までに描いたものはとるに足らないものだった。73歳になって鳥獣虫魚の骨格、草木の成り立ちが理解できるようになり、83歳で成長できるようになり、90歳で奥義を深め、100歳で神の域に達するのではないだろうか、ということを『富嶽百景』書いています。

なんという情熱でしょう!
90歳にしてなお画風を変えようと思っていた画狂老人北斎

「人魂で行く気散じや夏の原」
これは北斎の辞世の句です。
気散じとは、心の憂さを紛らわす、気晴らしのこと。
享年90の北斎。これからは人魂になって気ままに気楽に夏の野原をふわふわと漂いますよ。
という感じでしょうか。

死を前にしながら、なんともチャーミングな辞世の句。あと5年、いや10年描きたいという画狂老人の気迫は感じられません。北斎の情熱を知る残された人たちが安心するような穏やかな句。
なんて優しいのでしょうか。

肉筆画のカキツバタ北斎の優しさや清らかさを感じ目を奪われ、
今までよりずっとずっと北斎が好きになりました。
北斎の肉筆画の素晴らしさをたっぷり味わえる展覧会でした。