『バスキア、10代最後のとき』を見てきました。
ストリート暮らしからアートシーンのスターになったバスキア。
小さい頃からフランス語とスペイン語を流暢に話せる頭のよい子どもだったそうです。
芸術好きの母親が精神病院に入り、父親とうまくいかなかったことから、バスキアは路上生活者となります。
友人のアパートを転々としながらストリートに作品を残し続けたバスキア。
ゆれ動く政治、人種問題、ファッション、文学、アート、音楽など当時のニューヨークのムーブメントのリアルが詰まった映画です。
30年前のバスキアの作品である、冷蔵庫、壁、ドアに描かれたアートが見られます。
朝起きると、毎日にように部屋が変わっていたという、
若いバスキアの、溢れ出るアートへの情熱が伝わるエピソードがありました。
1976年、バスキアは高校時代の友人とグラフティのユニット、「SAMO」(セイモ)を結成します。
この頃、スプレーで公共施設に絵やメッセージをかくアート、グラフティがニューヨークの若者に広がっていました。
その中でも「SAMO」のグラフティは文学的であることから注目を集めます。
しかし常に新しいものを求めるバスキアはすぐに「SAMO」を解散し、バンドを結成。
グラフティと結びつきの強かったヒップホップではなくジャズやノイズを取り入れた独自のサウンドでした。
バンドの次に興味を持ったのはファッション。既成の服をペイントし、一点ものの着るアート「マンメイド」というプロジェクトを立ち上げます。
そして、バスキアの手作りのポストカードをアンディ・ウォーホルが買ってくれたことから、
ウォーホルとのコラボや、デヴィッド・ボウイとの交流などが始まり、
「有名なアーティストになる」という夢を20歳くらいで叶えたのです。
バスキアは、ドラッグに溺れ88年にこの世を去ります。27歳という若さでした。
ストリート・アートを芸術に高めた先駆者であり、黒人で成功した初めてのアーティスト、バスキア。
20世紀の美術史における最重要アーティストですので、ぜひご覧くださいね。
湘南美術アカデミー