横浜美術館で開催中「メアリー・カサット」展

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※会場内の画像は主催者の許可を得て撮影したものです。

左<桟敷席にて>1878年

メアリー・カサットの幸福とは?
印象派の女流画家に共感!

横浜美術館で開催中の
メアリー・カサット展」に行って来ました。

カサットの作品だけでなく、ドガやモリゾなど、交流のあった画家の作品や、
カサットが所蔵していた日本の屏風、
同時代に活躍した女流画家の作品など、
100点の展観により、カサットの魅力を堪能できる展覧会です。

メアリー・カサットは、ワシントン・ナショナルギャラリー展で見ていたはずなのですが、
実はあまり記憶に残っていませんでした。
印象派を代表するといわれる女流画家なのに、ほとんど知らなかったのです。

今回、油彩画、パステル画、版画を見て、実力の高さにびっくり!
版画も、とても素晴らしいのです!
巨匠から受けた影響を、きちんと生かしているためか、様々な雰囲気の作品があり、
その上手さに感心します。
ムリーリョ風、ルノアール風、モネ風、ドガ風などなど。
頭が良くて勉強家で器用な人だということがわかります。
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右<化粧台の前のデニス>1908-09 
左<夏の日>1894
 
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母子の絵が多く、最初はうっとりと見ていたのですが、
ちょっとした違和感を抱いたので、カサットの幸福ついて考えてみました。

メアリー・カサット(1844-1926)の描いた、最初期の母子像(1880)は、136年前の作品です。       
この時カサット、36歳。

現代の日本であれば、アラフォー独身も多いですし、「高齢出産」といわれるのも35歳以上ですけれど、
当時であれば、結婚も出産も厳しい年頃だったことでしょう。

若いころのカサットの写真がありました。

そのころの女流画家というと、マネの弟と結婚したベルト・モリゾ(1841-1895)や
詩人のアポリネールと恋に落ちたマリーローランサン(1883-1956)、
著名な画家のモデルであり、とてもモテたユトリロの母(ユトリロの父は誰かわからない)である
シュザンヌ・バランドン(1865-1938)などがいます。
繊細な美人だったり、いい女風だったりと、女子力が高そう!

私の女流画家のイメージはそんな感じでしたので、
初めて見たカサットには、ちょっと驚きがありました。
明るくて賢そうで、バイタリティーに溢れていて、
真っすぐでバランス感覚がよく、男性からも女性からも頼りにされそうな雰囲気で、
今見ると、とても現代的な魅力のある女性です。
けれど、なにしろ100年以上前のこと、このような女性は、あまりモテなかったのでは・・・と推測する私。

この時代、結婚相手としては、モリゾのような、繊細な雰囲気の美人が好まれたと思うのです
(マネよりも、安定した生活ができそうなマネの弟を選ぶという、婚活女子もびっくりの女子力の持ち主!)。
 
カサットについては、死ぬ前に、ドガとの書簡を処分していたことから、
恋人関係?があったという推測がされていますが、
そうかしら???カサットの恋心を拒絶されたお手紙だったのでは・・・。
「あなたのことは同志として大切に思います」的な…。
31歳の時に、パリの画廊にあったドガの絵を見て衝撃を受けたカサットが、
33歳でドガと知り合い印象派展の出品を勧められたことなどを考えても、
当然、ドガに恋してしまったと思うのですが…。

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カサットは生涯独身でした。
姉の死や年老いた両親の介護で、2年間も制作ができなくなりましたが、
この困難を乗り越えて、画家として自立したのです。

「私は過去の巨匠より、もっともっと上手く描きたくなりたいの。」という言葉を残したほど、
野心家であり負けず嫌いなカサットとしては、この2年間は、どれほど辛い時期だったでしょうか。
カサットは、中途半端に制作に取り掛かることができなかったのではないかと思うのです。
集中して取り掛かることができないのなら、きっぱりやめよう。そして、家族に尽くすことが今の自分にできることだ…。責任感と優しさと気の強さがある女性だと感じます。

画家になることを親に大反対されつつも、21歳でアメリカからパリに渡ったカサット。
19世紀後半、女性はエコール・デ・ボザールの入学が許可されず、
ルーブル美術館で巨匠たちの作品を模写しました(モリゾ姉妹もそうでしたね)。
ドガピサロと共に、銅版画の研究をしたりと、積極的に、自分の道を自分で切り開く姿は、たくましく、
やはりカサットは現代の私たちのお手本だと感じるのです。

「私は自立している。
ひとりで生きていくことができ、
仕事を愛しているから。」
ルイジーヌ・ハヴマイヤーに語った言葉(年代記載なし)

結婚に期待せず、子どもを持つこともなかったカサット。
家庭の日常の風景や母子の様子などを多く描いていますが、
そこにこそ、カサットの憧れがあったのではないかと感じるのです。
母と子の登場する作品がいくつかありましたが、息苦しいような濃密なつながりは感じられませんでした。
生活感のある「母」であっても、肖像画用にお洒落した「母」であっても。

そして、乳母の出てくる作品を見て、ああ乳母の方がぴったりくるなーと感じたのです。
カサットは、母と子の「母」に自分を投影して、作品の中で子どもを抱いていたのではないかしら?
絵から伝わってくる子どもの重量感は、カサットが心に抱いている「我が子」というものに対する重さ。
なんとなく感じてしまう母子の距離感の理由がわかったような気がしました。

つい先日、本のレビューの仕事で酒井順子さんの『子の無い人生』について書きました。
酒井さんは、NPOを通して、発展途上国の特定の子どもに、お金を送ったり手紙のやりとりをしているそう。
こうした援助で、いくばくかの心の安寧がもたらされるということで、この活動をしている「子の無い」女性は多いということでした。
カサットは母子を描くことで、子どもを体感し、母親たちにエールを送り、心の安寧を得ていたのかもしれないと思ったのです。
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「アーティストである喜びと比べられるものが、いったいあるというのかしら?」
1924年1月ウィリアムス・イヴィンスへの手紙
カサット80歳、亡くなる2年前の手紙です。

70歳の肖像写真のカサットを見ると、私立の女子校の学長のような風格で、
気高く愛情深い人のように感じられます。
カサットは、仕事をし、自立し、アーティストととして評価されるという、自分の目標を達成しています。
恋がうまくいかなくても、子どもを持たなくても、カサットは努力で手に入れられるものは、
きっちりと手に入れたのです。

カサットが、女流画家としての人生を賭けて描いた、素晴らしい作品の数々に、
私たち女性は勇気をもらえるはずです。

仕事、恋愛、結婚、両親の介護…現代に生きる私たちと、あまり変わらない姿も身近に感じられる、
女性必見の展覧会です。 

9月11日までです。
ぜひお出かけくださいね。